天天好時光

<   2006年 09月 ( 42 )   > この月の画像一覧

暑い、暑い、暑い

いろいろ買いたいものがあって、リビングでリストを書いていた。すると、父がやってきて、カードを一枚よこした。「これで好きなもの買って来い。暗証番号は・・・・・・」クレジットカードであった。さすがに、そんなことするわけにもいかないので、そのまま返した。

名古屋は、まだまだ暑い。家族は、みなクーラーが嫌いなので、あってもつけない。ぼくが暑い暑いと連呼していると、しぶしぶつけてくれた。しかし、温度設定は28度。こんなんじゃ動いたらまた暑くなる。ワガママを言って、26度にした。しばらくして、外に散歩に行った。帰ってくると、また消してあった。よほど嫌いなのだろう。うちのクーラーは、消すと勝手に掃除が始まるので、その音もうるさくて嫌いらしい。だったら、そんな機能のついてないのを買えばよいのに、と思った。ぼくの部屋のは、とっくに壊れている。夏休み中に、母から買っておこうか、と連絡があったが、断ってしまった。9月末が、こんなに暑いとは思わなかったからである。そう言ったら、母が、「運動会が終わるまでは暑いのよ」・・・運動会って、いったいいつの話か。仕方がないので、扇風機を出した。
[PR]
by pangxie | 2006-09-30 09:49

しばし休息

昨日のこと。6:00、起床。6:30、宿舎前でタクシーに乗車。7:30、浦東空港到着。9:10のフライトだから、余裕綽々。ところが、出国審査で1時間半も並ぶはめに。そのせいで、搭乗したのは、離陸時間を過ぎた9:20。すでに待ちくたびれた乗客の、冷たい視線を浴びながら、自分の座席に。やはり、国慶節、空港の混雑は、尋常ではなかった。

隣に座っていた中国人の、あまりに流暢な日本語にびっくりした。どこで習ったか尋ねると、なんと彼女は「校友」であった。修士を出た後、すぐに日系企業に就職し、上海事務所で働いているとのこと。今回の日本行きは、有給を使って、連休を、なつかしの名古屋で過ごすためだという。ぼくがよくしてもらっている先輩が、彼女の後輩に当たり、いまでも親しくしている。なんたる偶然。名刺をもらって、上海で再会するのを約束し、別れた。

空港で、名古屋の名店鈴波で魚の粕漬けを食べ、赤福を買って、帰宅。夜は、家族でステーキを食べた。スジの気にならない牛肉を食べたのは、じつに久しぶり。それから、「渡る世間は鬼ばかり」を鑑賞。つまらなかった。相変わらずのとってつけたような台詞はどうとも思わないが、話が広がりすぎて、収集がつかなくなっている感じ。
[PR]
by pangxie | 2006-09-29 12:18

なんとなく

夜、なんとなく韓国料理が食べたくなった。行く相手もいないので、ひとりで行ってきた。さすがのぼくも、ひとりで焼肉は食べられないので、ビビンバを注文した。ビビンバも、心もち量が多いような気がした。いろいろ食べる気満々であったが、ビビンバひとつで断念。ひとりで韓国料理屋は行くもんではない、と思った。

それから、あちこちブラブラ散歩して、宿舎に戻った。昼は、まだまだ残暑が厳しく、半袖で大丈夫。だが、夜になるとかなり涼しくなるので、薄手の長袖を羽織ったほうがよいかもしれない。

もうじき国慶節。9月から新学期が始まって、ちょうど疲れてくる頃の連休である。日本のゴールデンウィークのようなもの。果たして、中国にも、5月病のようなものがあるのだろうか。
[PR]
by pangxie | 2006-09-27 23:43

経験という桎梏

自我は、経験を経て、形成されてゆく。経験がなければ、自我は形成されない。経験というのは、この場合、見たり、聴いたり、触ったり、という肉体的感覚である。本来、さまざまな方向に開かれていた個性は、経験を取り込む過程で、失ってゆく。

大勢の共有する経験は、常識と呼ばれるようになる。わたしは、常識に沿って生きているか否かで、他者を判断してしまう。共感できるものとそうでないものとの隔絶ができ、階層秩序が発生する。わたしは、常識を備えもってはいるけれども、往々にして、常識の常識である所以を考えることはしない。わたしの根幹にかかわることを考えるのは、わたしの存在を揺るがせにすることである。だから、わたしは、わたしを守るために、常識は敢えて不問に付す。問いたださないことによって、常識はさらに強固なものとなり、他者の経験のなかに、滑り込んでゆく。

ぼくは、べつに常識そのものについては、否定しない。しかし、それだけに囚われすぎて、別の見方や可能性に注意しないあり方は、嫌である。まずは、自らの経験を反省してみようと思う。

こんなこと書いてるから、抽象的などと言われるのであろう。
分かってはいるものの。。。
[PR]
by pangxie | 2006-09-27 08:18

漫才

ラジオを聴いていたら、懐かしい曲が流れていた。フェイ・ウォンの「容易受傷的女人」である。たしか、高校生だったとき、アグネス・チャンが講師を務めていたNHKラジオの広東語講座で、はじめて聞いたと思う。この曲は、中島みゆき「ルージュ」をカバーしたもの。フェイ・ウォンの出世作と言われている。

漫才を聴いた。すぐに理解できなかったのは、「包子往里走」と言われて、絶対に中には入らない、というようなくだり。「包子は中に行って」という意味だから、そう言われて中に入ってしまっては、自分が包子になってしまう、というもの。ほか、ガスの取替えをしているとき、近所の人に「没気了」と言われて腰を抜かした、食堂で食事しているとき、空席待ちの若者に「眼看就完了」と言われて腹が立った、甥っ子が時計を修理して持ってきたときに「給你送鐘来了」と言われてその甥っ子を殴った、などの箇所で、笑いが起こっていた。
[PR]
by pangxie | 2006-09-26 23:50

読了

木村英樹『中国語はじめの一歩』(ちくま新書、1996年)を読んだ。どの説明も腑に落ちて、分かりやすかった。だが、ぼくのような、理解するのに時間のかかる者にとっては、本書は、いささか難解のような気もした。(不と没有の箇所は、2、3回読み直した。)文法を、理屈でトコトン把握したい人には、うってつけの一書であろう。

中国語を学び始めたばかりの頃、読んだものに、相原茂『はじめての中国語』(講談社現代新書、1990年)がある。こちらは、『はじめの一歩』よりも、くだけた感じのものだったように記憶している。読みやすかった。相原先生の魅力は、小難しい説明を、一般向けに分かりやすい言葉で伝える技術(才能?)に長けていることにあると思う。ラジオ講座のときも、本当に分かりやすかった。無理なくある程度のところまで勉強できる、といった感じであった。
[PR]
by pangxie | 2006-09-26 00:58

SPRの呪い

上海に、SPRという喫茶店がある。ここの冰沙が好きである。ぼくは、このSPRという名前を、よく言い間違えていた。そのたびに訂正され、いまでは間違えなくなった。そう思っていた矢先、「SPI」と言ってしまい、赤っ恥をかいた。

今日、はじめて古月書店に行った。古本屋に行くのは、じつに久しぶりである。途中、四平路・SIPINGLU、という道案内版を目にした。頭3文字のSIPが、思わずSPRに見えてしまった。

フロイトによれば、言い間違い(失錯)は、無意識を言語化したものである。もっとも、この場合は、のっけから「SRP」と勘違いして覚えていたり、情報が混乱していたに過ぎないと思う。単に記憶力が悪いだけである。

そもそもSPRは、SPRINGの頭3文字を取ったものらしい。由来を知っても間違えるようでは、覚える気などさらさらなし、と言われても、仕方あるまい。
[PR]
by pangxie | 2006-09-25 22:14

迷い

新天地で売っていた、八宝飯のTシャツを買おうかどうか、迷っている。ぼくは、これまでに、衝動買いして後悔することが、とても多かった。そこで、同学のアドバイスを思い出した。

「1週間我慢して、それでも欲しかったら、買うこと。」

10月になっても、まだ欲しかったら、買うつもり。
[PR]
by pangxie | 2006-09-25 22:06

互相学習

昨日の話。今学期から日本語を習い始めた同学と、互相学習をした。ひらがなよりカタカナのほうが難しい、早口言葉が難しい、発音は日本語のほうが難しい、と言っていた。

まず、単語を読んでもらった。そこで、ぼくのアクセントが、やはり、標準語のそれでないことに、改めて気がついた。「森さん」の「森」である。彼女の教科書には、「リ」にアクセントがあったが、ぼくは、「モ」にアクセントをつけて読んでいた。同学から、「教科書の発音と違う」と指摘されて直す、という始末。

いまひとつ。「大学」の「ガ」の音について。なんだかおかしな発音をしていて、不自然に聞こえた。ぼくは、そんな言い方はしない。妙に思って、夕食後に、先輩に尋ねたところ、彼女の「ガ」は、どうやら鼻濁音になっていたらしい。普段意識しないことを指摘されると、どうしても窮してしまう。
[PR]
by pangxie | 2006-09-25 09:36

うわのそら

塾に行っても、うわのそら。そのせいで、同学の方々に迷惑をかけてしまったのではないか、と心配している。

帰り道で、いろいろお話を聞いた。院生に共通する悩みなのではないか、と思った。心が和んだ。

いまは、何もかも放棄して、何もかも忘れて、べつのことに没頭しようか。思うだけで、何もできない怯懦な自分が、つくづく嫌になる。

苦悩を越えての歓喜、とはベートーベンの言葉であるが、果たして歓喜はやってくるのだろうか。

中国には「好死不如頼活」ということわざがある。ぼくは、生き恥をさらすよりも、むしろ消えてしまったほうがよい場合が、あると思う。
[PR]
by pangxie | 2006-09-24 01:15