天天好時光

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どっこいどっこい

復旦の修士課程では、論文を少なくとも1本は、学術雑誌に掲載することが、義務付けられている。雑誌には、ABCのみっつのランクがあって、B以上のランクでないといけない。ぼくが一緒に相互学習しているゼミ同学は、すでにAランクの雑誌に掲載された。ただ、万一に備えて増刊という手段もあるらしく、中国という国柄によるのかどうかは分からないが、規定には何らかの抜け道がつきもの、ということを、改めて知った次第。

指導教授は、論文を発表しろ、とさかんにせかしてくる。先日の一時帰国のときに言われたのは、せっかく中国にいて、しかも先生が指導してくださる、というのであれば、ぜひ発表するべき、とのことであった。肝心の問題は、発表する内容のことだけれども。。。

中国体験にまつわるエッセイを読んだ。さすがはKH先生だけあって、特徴のある文章もさながら、奥の深い、文字通り熟読玩味に値する、素敵なものであった。いわゆる体験ものは、単行本として多数出されているものの、一般に平板な記述のものが多い。見て聞いたことの表層ばかりをあげつらうだけでは、これからは誰も相手にしなくなるであろう。そんなものは、何もお金を払って本を買わなくても、個人サイトでいくらでも読むことができるからである。個人サイトと侮るなかれ。素晴らしいものは、いくらでもある。ぼくのサイトは、独断と偏見に満ち満ちているので、なんのためにも、参考にもならない。断言する。でも、自己満足という点からすれば、さきのくだらない旅行体験本と、どっこいどっこいだと思う。
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by pangxie | 2006-10-30 17:51

感謝しなくてはダメだ

いまの日常生活を、どこかで、〈あたりまえ〉だと感じていたに違いない。

だから、自分のことを棚上げして、あれやこれやと不満を挙げ連ねてしまう。

人の気遣いが見えなくなってしまって、理不尽になっていた。

目先のことにばかりこだわってしまって、相手のことを思いやっていなかった。

反省しないといけない。

感謝の気持ちでもって人に接すれば、態度もおのずから変わってこよう。
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by pangxie | 2006-10-29 08:12

愛情是最難保留最容易消滅的東西

映画『少奶奶的扇子』。これは、もともと舞台劇であったが、1939年に映画化された。黎曼鴻の袁美琳に言ったセリフ「愛情是最難保留最容易消滅的東西」が、印象的であった。このセリフの対極に位置する「愛情は不滅」などというのは、しょせんは単なる理想に過ぎない、現実離れしたものである。

愛情は「最難保留最容易消滅」のものか、それとも、「不滅」のものか。ぼくは、現実は前者で、理想は後者である、と思う。人は理想がなければ、生きていてもつまらない。だから、「不滅」派の見方を否定しないし、むしろあったほうがよいと思っている。

ただ、ぼくは、「不滅」を説くのは、自己暗示であると思う。彼らは、愛情は「最難保留」であり「最容易消滅」であることに気づきつつあっても、敢えて「不滅」を説いて自己暗示にかける。これは、一種の自己欺瞞の行為である。このように言って聞こえが悪ければ、愛情に立ち向かう自分を奮い立たせる、鼓舞する、とでも言えばよい。

要注意なのは、自己欺瞞は、往々にして相手を巻き込んでしまうことである。相手も自分と同じように、愛情は不滅だと思っている、こんなのは単なる勘違いである。映画に出てくる、袁美琳に横恋慕する劉某は、まさに恰好の例として、ここに挙げられる。

あと、題名にもなっている「若奥様の扇」が、うまいことに効果を発揮していて、よかった。そのほかにも、この映画には、あれこれと考えさせるものがあった。やはり、名作だと思う。
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by pangxie | 2006-10-28 11:37

打印

大学付近には、コピー屋があって、ワードのプリントアウト、本やノートのコピーをしてもらうことができる。本の場合は、店員がすべてしてくれるので、日本で自分でコピーするよりも、ずっと楽である。プリントアウトする場合は、USBを使うのだが、店のパソコンはウイルスに感染していることが多いから、要注意である。

今日は、本をコピーしに行った。大人だか子どもだか分からないような店員に、コピーしたいと告げると、普通話かそうでないような言葉で答えてきた。何を言ってるのかさっぱり分からなかったので、近くにいた学生に「翻訳」してもらった。コピーしてる最中も、その店員は、あれこれ喋ってきたけれど、ほとんど聞き取れないので、何度も聞き返した。最後に、あなたの言葉は聞き取れない、と正直に言ったら、耳が遠いんじゃないの、と笑われた。
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by pangxie | 2006-10-26 16:30

相談を受けた

相談を受けた。相談者には、ふたつのタイプがあると思った。ひとつは、ある程度することが決まっていて、それに賛同してもらいたい場合。いまひとつは、まだ決めかねていて、どうしたらよいか決めて欲しい場合。前者など、相談じゃないのでは、と言われるかもしれないが、建前上は相談ということになっているので、ひとつのタイプとして成立すると思う。

これを判別するのは難しいけど、じっくり話を聞いてゆけば、口調や雰囲気から、なんとなく分かるような気がする。

いずれにせよ、相談者は意見を求めてはいるけれども、それ以上に話を聞いてもらいたい、という気持ちが強い。聞く割合を8として、意見を言う割合を2とするくらいが、よいのではあるまいか。ぼくは、相手の言い分をすべて聞く前から、口出ししてしまうので、よくない。なんでろう。せっかちなのだろうか。

もちろん意見は意見として、率直に話すべきである。でも、結局、それを受け入れるかどうかは、相手次第。相談されるほうが、自分の意見に反対されたからといって、ムキになって反論していては、ダメである。相談者は、きっと、相談する相手を間違えた、と思うことであろう。

くだらないことを、くどくど書いたけど、要するに、相談されるときは、聞き手に徹するのがよい、と思う。相談者の言い分をちゃんと聞くこと。何を考えているのか、どうしたいのかを、じっくり聞き出さないと、意見することなどできないからである。
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by pangxie | 2006-10-26 07:29

寒い

急に寒くなった。大陸は急に寒くなる、と教えていただたことがある。去年の今頃は、もっと寒かったはずである。

お前は一日にどれだけブログを更新したら気が済むのか、と言われた。ぼくは、かなりの気まぐれ人間なので、何か思いついたときに、書きたくなる。だから、一日に何度も書いてしまうこともあれば、全く書かない日もある。書きたいことは、とっとと書いておかないと、すぐに忘れてしまう。だから、ブログは日記でもあるし、備忘録でもある。

内容は、とても薄っぺらなものであると、自分でも思う。部活や仕事をしている方は、1回の日記が、とても充実した内容になっているが、ぼくのは質より量、といった感じ。量といっても、文章の長さではなくて、更新の回数である。マジメなことも書けないし、人を楽しませるようなことも書けない。結局、上海に来ても、ロクな生活をしていない、ということか。しょせんは自己満足なので、どんなことを書いても、思い出にはなると思うけど。。。
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by pangxie | 2006-10-25 07:24

もういや

考えるのも疲れた。
今日の課題も、途中までしかできなかったし、予習も、今日中に仕上げてしまおうと思っていたのに、結局できなかった。

いったい何をするために、上海にいるのだろう。
日本で休んでから、心機一転頑張ろう、と思ってたのに。

何だか自分が歪んで見えてくる。
歪んでるからしょうがない、なんて言われれば、それまでだ。
でも、寄ってたかって言われたら、返す言葉もなくなっちゃうんだけど・・・。こういうのを孤立無援、四面楚歌と言うのだろうか。
それにしても、なんでこんなに責められなくちゃいけないの?何か悪いことしたのかな?
もういや。
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by pangxie | 2006-10-24 02:12

独白

何を言っても、ぼくが「おかしい」「気難しい」だけなので、多言を弄することは控えるべきだと思う。その一方で、思ったことを書き連ねておくのも、自分を振り返る参考になると思うから、ここが自己満足の場であることをよいことに、書き記しておく。

ぼくは、よく知らない方にいじられるのは、苦手である。こちらに来て、ふだんよくしてくださる方々は、みなさん節度を持って、気遣いを持って接してくださる。きっと、ぼくを相手してくださるみなさんも、どこかで、相手との距離をみてから接しているのではあるまいか。これは、あくまでぼくの推測に過ぎない。だから間違っているかもしれない。ともあれ、素敵な方々にめぐり合えたからこそ、上海に来ても、うまくやってこれた。

今日、ぼくの人見知りをすることを、分かってもらえたのだろうか。人見知りすると自分で主張しても、軽く受け流されたり、茶化されたりすると、なんだか自分を否定された気になって、心地よくない。ぼくのことをふだんよく見てくださって、こう仰るのであれば、それはそれとして受け止められる。正直に言えば、表面的な態度だけで、判断されてしまっては、ちょっと困る。

相手がぼくのことをどれだけ知っているのか、ぼくには分からないけれども、少なくとも、ぼくは、相手の出方を見て、接しているつもりではある。容赦してくれない人には、ぼくも、容赦はできない。露骨、失礼、排他的、なんと言われても、ぼくは、時間をかけて、ぼくのことを知ってもらいたいし、そして、ぼくも相手のことを知りたい。ぼくのこの態度は、一貫していると思う。そうしないと、相手の表面的なことにばかり拘泥してしまうことになるからである。うわべのつきあいをするくらいならば、しないほうがまし。「社会人」たるものは、そんな好き嫌いでは済まされないであろう。しかし、年はとっても、学生の身分であるかぎり、ひとりひとりと、丁寧に接していければ、と思う。

日本にいたときも、友人は決して多くはなかったが、その分、ひとりひとりと悩みや苦しみを共有することができた。うわべだけの付き合いではない、友人との関係のよさは、ぼくだって体得できた、そういう自負は持っている。人の心象は、一朝一夕に変化することはない。変われ、と言われても無理な場合だってある。あるいは、ぼく自身が、これほどまでに、気遣いのできない了見の狭い奴に「変わって」しまったのであろうか。
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by pangxie | 2006-10-23 21:28

感心

友人のブログを見ていて、感銘を受けたので、ここに記しておこうと思う。

結婚に関する話。銭鍾書の長編小説『囲城』では、結婚をお城に喩えている。城の中にいては城を出たいと思うが、城の外にいては城の中に入りたいと思うものである。彼女はこれに触発されて、結婚を靴に喩えた。靴は、自分で履いてみなければ、合うか合わないかは分からない。結婚も然り。実際に結婚してみなければ、幸か不幸かは、分からない。

言ってるのは単純なことであるが、彼女は、こうやって、有名な作品を引用したり、喩えを用いて相手に納得させる、という手法に長けていると思った。ほかにも、異国での日常生活や仕事を通して得たことなど、一々感心してしまった。
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by pangxie | 2006-10-23 00:23

勉強になりました

相互学習で見ている初級日本語の教科書に、一類動詞、二類動詞、三類動詞というのがあった。これについて教えてほしいと言われたが、そんなもの知らないので、教科書をふたりで繰って、説明箇所を探した。一類は五段活用動詞、二類は上一段活用動詞と下一段活用動詞、三類はカ変動詞とサ変動詞、を指す。

教科書付属の録音を聞かせてもらった。背景の音が入って、臨場感をかもしだしているものの、会話が朗読のような口調で、不自然なこと極まりないものであった。中国語の音声を研究している先生が、以前、『中国語』という雑誌で、教科書の録音といえども、自然の速さで、場に即したものであるべき、と書いておられたのを思い出した。

あと、同学の名前を日本語の漢字音で読むと、ちっとも中国語らしくない、と文句を言っていた。どうやら教科書に出てくる、李秀麗の発音と比較してのことらしい。たしかに、李秀麗は、中国語でLi3 Xiu4 li4、日本語でリシュウレイ。聞いてみて、何となく似ているような気がした。

「森さん」の「モリ」の発音、ぼくはずっと「モ」にアクセントをつけていたが、教科書には「リ」の方にあった。名古屋弁は、頭にアクセントのあるものが多いという。これも、名古屋弁の影響か。
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by pangxie | 2006-10-22 23:45