天天好時光

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火事に注意

朝、出かけるときに、消防車を見た。北区の隣にある専門大学「済光学院」の前に止まっていた。帰宅してから、ニュースを聞いていると、火元は女子学生寮、原因は暖房器具であるとのこと。ここ数日、めっきり寒くなって、今日などは8度であった。乾燥してきて、ノドも調子が悪い。

話は変わって、地下鉄2号線は、浦東から中山公園までを結ぶ、とても便利な路線である。テレビ塔や金茂ビル、南京路、福州路、静安寺など、観光地が密集している、その下を通っている。

南京路のあたりは、なぜか駅名が「河南中路」と「石門一路」であった。今年の10月から、河南は「南京東路」、石門は「南京西路」と、名称変更がなされた。ようやくといったところか。そもそも、なぜ、河南や石門などと称して、南京路を避けていたのであろう。
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by pangxie | 2006-11-29 20:47

MAGO

昼前に、部屋でまったりして、先輩とチャットを楽しんでいたら、同学から電話がかかってきた。木曜の講演会の打ち合わせをするので、光華楼に集合せよとのこと。おかげで昼食を食べ損ねた。

今日の先生は、ご機嫌ななめであった。学生に任せた講演会の段取りが、うまくいかなかったようである。ぼくは、写真係なので、事前にすることは、電池の充電をしておくことくらいしかない。わりと気楽。

4時過ぎに帰宅し、ふたたび部屋でまったりしていたら、ウトウトしてしまった。部屋の暖房をつけ始めたせいであろう、ベッドに横になると、すぐに眠たくなってしまう。

夜は、武東路のMAGOという、韓国料理屋。チャーハン、五花肉、チヂミ、鶏ササミのチーズはさみ揚げなど、ふたりとは思えないほどの量を注文。それを見事に食べきってしまうのだから、不思議である。
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by pangxie | 2006-11-29 01:10

換換口味

最近は、理論系の本や文学史ばかりを読んでいて、文学作品そのものからは、遠ざかっていた。ゼミの同学にこう話したら、気分転換にまた読み始めたら、と勧められたので、しばらくは小説を読んでみようと思う。もっとも、理論と作品とを、同時並行して読み進めることができれば、何も言うことはないのだが。
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by pangxie | 2006-11-28 17:28

兼類

相互学習で、動詞が名詞を兼ねる、というものを勉強した。帰ってから、文法書を見て、ちょっと確認してみた。例に挙げてあるものを省略して、要点だけを引用する。

「一、有些动词既可表示一种动作行为,又可以指称一种具体事物,词义关系密切,前一种用法是动词,后一种用法是名词。
二、有些动词有时可以受数量词以及表示事物的性质、数量的形容词(如“好”、“大”、“多”等等)修饰。
动词这样用时,就不再具备动词的语法特征(如不能用“不”否定,不能带宾语,不能用动态助词“了”“着”“过”等),而成为名词,即此类动词兼属名词。」(劉月華ほか『実用現代漢語語法』増訂本、商務印書館、2001年5月、168-170頁)

たとえば、“批評”は、「動詞名用」である(これを「名動詞」という人がいる)。
 目的語をともなう、あるいは副詞の修飾を受けるとき-動詞
 “挨批评”のように、批評そのものが目的語になっているとき-名詞

“希望”と“愛惜” “希望”は「名動詞」
希望 (a)有希望 (b)一线希望 (c)很多希望 (d)很大希望 (e)希望参加 (f)不希望
爱惜   ×      ×     ×     ×    爱惜时间 不爱惜

形容詞と名詞を兼ねる「名形詞」というのもある。“困難”は「名形詞」。“干净”は形容詞であるが、「名形詞」にはならない。

動詞でないものが動詞的な役割をするもの、形容詞でないものが形容詞的な役割をするものは、兼類とはみなさない。偶発的なものである。以下、その例。

末了,他还少不得认真地“马列”了“保长”几句。
“他也怪凄惶的。”――“你凄惶他,谁凄惶我?”
你越动,娘不越伤心吗?哑巴着点儿,过了这一阵就好了。
要讲洋,咱都洋!你东洋,我西洋!看谁洋得过谁!
走正步,比军队还军队。
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by pangxie | 2006-11-27 22:40

笑い転げた

友人と新天地で食事。人が多すぎて、待ち合わせにもっとも適さないと言われている、淮海路の太平洋百貨店前で待ち合わせ。人を探すのが大変、といっても、このご時勢、携帯を持ってる人がほとんどなので、心配するには及ばない。デパートの中では、何周年記念セールとやらで、あちこちでバーゲンしており、どこもかしこも行列を成していた。

今回は、ZENという広東料理の店。広東料理って、復旦周辺にはないから、ちょうどよいかなと思って、ここにした次第。接客態度がイマイチだったので、翡翠酒家にしてもよかったかな。。。鼎泰豊は、相変わらずの満席であった。それにしても、ここの、外の廊下に臨時に増設したと思しき座席はどうにかならないものか。こんなところで食べさせるのなら、すこしは安くしないと。

それから、カフェでケーキを食べコーヒーを飲んで、新天地や淮海路の店を冷やかして、帰宅。タクシーの運転手が、全然道を知らなくて、いちいち説明しなくてはならなかった。まあ、降ろされなかっただけマシなので、よしとしようか。

あと、新天地近くのフランス人がやってるワイン店をのぞいたら、ボジョレーが置いてあった。一番安くて198元、これが売れ筋だという。ライトなものは、333元。買おうかどうか迷ったけど、今回はパス。さんざん聞いた挙句に買わなかったものだから、店員はさぞプンプンしているであろう。

話があまりにおかしくて、何年分も笑った気持ち。
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by pangxie | 2006-11-26 10:49

ぬか喜び

研討会のおかげで発表が延期になると思いきや、先生はとんでもないことを言い出した。研討会の前日の水曜日にゼミを繰り上げるというのである。延期でひとり舞い上がっていた自分が、まるで馬鹿みたい。ぬか喜びとはまさにこのことを言う。

テキストはすでに読んだし、梗概もだいたいは仕上がっているけれども、それを中国語で発表するための用意は、まだ全然していない。先生は寛容な方なので、大目に見てくれるのは間違いない。だが、当日何もしなかったがためにグダグダになる自分を想像するに、周到とはいえないかもしれないが、やはり、それなりの準備をしておかないと、発表後の、あの罪悪感にさいなまれることになる。ここで「あの」と書いたのは、すでに失敗を経験しているからである。加えて、来月上旬の、某先生による講義の予習もせねばならなくなった。

普段遊び呆けているから、こういうときになって、慌てふためくというありさま。

慌てつつも、予習は横に置いといて、大橋先生の『新文学入門-T.イーグルトン『文学とは何か』を読む』(岩波書店、1995年8月)を読んだ。ぼくは、イーグルトンではなく、本書によって文学理論を初めて知った口なので、とってもとっても思い入れのある1冊。そのあと、まさか実際に大橋先生の講義を受けられるとは、思いもしなかった。もっとも、講義は文学ではなくて、映画であったのだが。でもそこは大橋先生、映画の解釈でも、文学理論を縦横に駆使しておられて、しかも「超」分かりやすい名講義であった。

「正確にはシニフィアンとシニフィエは、名前と物との関係に対応してはいません〔この一文には、傍点が付されている-引用者〕。シニフィアンというのは言葉の音(あるいは文字)のことであり、シニフィエというのはその言葉の音(あるいは文字)から連想される概念ということです。それじゃ名前と物の場合と大差ないと思われるかもしれません。しかし、〈名前-物〉説の場合、言葉は現実の事物なり観念なりを指示していました。しかしソシュール的記号論の場合、シニフィエは記号が指示する事物や観念ではなく、あくまでもシニフィアンとの関係から生ずる聴覚概念であったのです。もうすこしわかりやすく、単純化していうと、名前-物は、シニフィアン-シニフィエに対応するものではなく、名前の部分がシニフィアンとシニフィエに分かれたのです。そして名前の部分をシニフィアンとシニフィエに分けるということは、とりもなおさず、名前がもう事物を指示するものであるということをやめたということです。記号は極端なことをいうと現実を指示しません。ならば記号の意味はどこから生まれるのかというと、記号の相互関係のなかから生まれる。ちょうど記号の音の部分の弁別的な差異によって、その単語がcatかbatかcapかが判別できるのと同じように、記号そのものも、記号の相互関係のなかで閉じた体系をつくりあげ、その中で、記号がどのような位置にあるかによって意味が決まってくる。ソシュールは言語のなかには差異しかないと語ったのですが、それは単語の意味が、単語間の相互関係、それもとりわけ、あれと、これとはちがうのであるといった否定的関係によって成立するということです。わたしたちは、外国語の単語の意味は辞書を調べるのですが、単語には、それ固有の意味がはりついているわけではない。意味はあくまで他の単語との関係で決まるのです。」(大橋洋一『新文学入門-T.イーグルトン『文学とは何か』を読む』「第5講 ありえない遭遇」、岩波書店、1995年8月、117-118頁)
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by pangxie | 2006-11-25 09:19

おかしな夢

出かけようと思った矢先、本を読み出してしまって、そしてウトウトしてしまって、昼寝。おかしな夢を見た。なぜか中国にある100均の店で、お菓子をしこたま買って帰る、というもの。昨日、100均が話題にのぼったから、こんな夢を見たのかも。あと、夢は無意識の現れであるから、日本のお菓子を腹いっぱいに食べたい、という欲望が潜んでいたに違いない。
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by pangxie | 2006-11-24 20:23

勘違い

昨日の夜、一通のメールが来ていた。あわてて予習をして、教室に急いでいた頃なので、とりあえずの返信。そして、授業後に電話をかけるも、一向につながらずじまい。しようがないので、「私は何度も電話したけど、あなたは出ませんでしたね。先に帰ります」(直訳)とメールを送信。部屋で映画を見ながらくつろいでいると、先方から電話が。なんだかしどろもどろの口調であったが、それもそのはず、お互いに勘違いをしていたからである。勘違いというのは、ぼくは、トレーニングを食後にする、先方は、繰上げになった飲み会をする、というもの。

すったもんだの末、某氏のお部屋で飲み。ゲラゲラ笑ってるうちに、あっという間に夜明けの到来。途中、部屋に戻って夜のお供を取りに行くも、迂闊なことに、先日中国同学にもらったエビせんべいを忘れた。ビールのつまみにはもってこいの一品なのに、残念。いま、こうして日記を書いたり、メールを返信したりしながら、ジュースを飲みながら、食べている。

久しぶりの晴れ(曇り)。どこかに行こうかな。
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by pangxie | 2006-11-24 12:42

欧米系は難しい

最近、必要があって、レイ・チョウなど、欧米で活躍する中国学者の著作を読んでいる。それにしても、欧米系のもの、とりわけ理論に関するものは、どうしてこれほどまでに難解なのであろうか。ぼくなりに考えてみるに、やはり、知識の前提があまりに多すぎるからではないか、と思う。欧米では常識となっている理論を縦横無尽に使いながら、自分の論を展開していくので、その前提を持たない者にとっては、難解だと思ってしまう。こちらの指導教授によれば、欧米のものは確かにすばらしいが、当時の時代背景を斟酌していない、参照する史料の不足、などの欠点が挙げられるという。
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by pangxie | 2006-11-23 11:06

引用させていただきました(その2)

要約をほどこすよりも、、、というか、じつは要約など作れないので。。。恥

「実際、古い文化が自分とは異なる他者の〔「自分とは異なる他者の」には傍点が付されている-引用者〕時間に属するという意味で「美的対象」とされ、「未開で原初のもの〔ここには、「プリミティヴ」とルビが付されている-引用者〕」とされる、まさにそのときにこそ、あのプリミティヴへの情熱の裏面が、起源と始源を捏造したいという同時発生的な欲望という形をとって登場する。政治性を帯びた近代の「プリミティヴィズム」は、もはや存在しえない過去と文化への憧れではなく、なんらかの形で「中国」が一番で、最高かつ中心的なものであってほしいと願う願望の表れだ。プリミティヴィズムのこの両面を切り離すことはできない。一面において、昔の「中国」は「古代的」で「後進的」なものとして「美の対象」とされる。もう一面においては、愛国主義的な文化生産に染みわたった近代以降の自国強化と共同体建設のイメージが、中国的なものは第一級で独特なものであるとする執拗な欲望と結びつくのである。」(レイ・チョウ『プリミティヴへの情熱-中国・映画・女性』「第1部 視角・近代・そして原初への情熱〔「原初への情熱」には、「プリミティヴ・パッションズ」とルビが付してある〕」本橋哲也・吉原ゆかり訳、青土社、1999年7月、65頁。原書は、Ray Chow, PRIMITIVE PASSIONS Visuality, Sexuality, Ethnography, and Contemporary Chinese Cinema, Columbia University Press,1995)

この箇所にほどこされた注79では、以下のようにある。

「原初への憧れというこれらの症状を示しているのは中国本土映画だけではない、という点を強調しておかなくてはならない。カンフー映画という人気のあるジャンル-香港と台湾で大量生産されるジャンル-のことを、この視点から考察すると、自然としての過去と技術としての現在とのあいだに位置するプリミティヴィズムに心的エネルギーが備給〔「備給」には、「カテクシス」とルビが付されている-引用者〕されており、それの刻印がカンフー映画とだと言うことができるだろう。ここでの自然とはまさに人間の身体であり、それは空間に象形文字のようにそれ自身を刻印する。その一方、この古代的で原初的な身体が持つ素早く動く力は、目も眩むような映画技術で何千倍にも拡大され増幅される。この映画テクノロジーは、近代視覚文化の際だって特徴的なある形式を創造し、そこには「中国らしさ」がよく表れているとされる。(略)」(同上、318頁)
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by pangxie | 2006-11-22 18:27