天天好時光

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日々是努力

「詮ずるところ学問は、ただ年月長く倦まずおこたらずして、
はげみつとむるぞ肝要にて、学びようは、いかようにてもよかるべく、
さのみかかわるまじきことなり

いかほど学びかたよくても、おこたりてつとめざれば、功はなし、
また、人々の才と不才とによりて、その功いたく異なれども、
才不才は、生まれつきたることなれば、力に及びがたし、
されど、大抵は、不才なる人といえども、
おこたらずつとめだにすれば、それだけの功は有る物なり

又晩学の人も、つとめはげめば、思いの外功をなすことあり、
又暇のなき人も、思いの外、いとま多き人よりも、功をなすものなり、
されば才のともしきや、学ぶことの晩きや、暇のなきやによりて、
思いくずおれて、止ることなかれ

とてもかくても、つとめだにすれば、出来るものと心得べし」(本居宣長)
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by pangxie | 2007-04-24 01:36

明星版、だからといって侮ること勿れ

テレビで曹禺先生の傑作『雷雨』が明星版でやっていたので見る。明星版とはいいつつも、演じているのは名優ばかり。なかなか面白かった。残念なことがひとつ。大げさな効果音である。

話は変わるが、蜷川幸雄のこれまた傑作と言われている舞台『近松心中物語』でも、私にとっては、時折挿入される森進一の歌が邪魔で邪魔でしようがなかった。効果音すべてが嫌だというわけではないが、どうしてここに付けるのか理解できない場合は、鬱陶しく感じてしまう。

せっかく『雷雨』を見たのであるから、積読のままになっている銭理群先生の『大小舞台之間-曹禺戯劇新論』を読みはじめる。授業の予習も残っているので、自分の趣味的な本は控えなくてはいけないけれども、ついつい現実逃避で自分の興味のおもむくままに読んでしまう。授業のテキスト『中国当代文学史』や『中国当代文学教程 修訂本』は決して内容が悪いわけではなく、ただ興味が湧かないだけ。それでも当代文学の授業があってよかったとは思っている。なかったら、いつまでもちゃんと勉強しないままでいたからである。しかも私の指導教授の話だから、とても面白い。日本語でも当代文学を解説したものはある。しかし中国のテキストのごとく微に入り細を穿つものではない。嫌々でも上海にいるうちに上の2冊はしっかりと読んで、理解できるようになろうと思う。

ところで『雷雨』で思い出さずにおれないのは、あの『黄金甲』。張芸謀もあんなつまらない映画を作ったものか、とあきれてしまうし、またガッカリもさせられた。『雷雨』は近代中国を舞台にしているからこそ、価値がある。古代中国の家族の崩壊を描くには、もとより周到な準備が必要であり、近代ものを古代中国に置き換え衣装を派手にしたところで、それにはなんの価値もないのである。

『雷雨』の梗概について。私のつたない文章能力ではよくないので、日本の資料集より引用する。

「「雷雨」は四幕劇で、炭鉱主周家の悲劇を描いたもの。周家は主人樸園と後妻繁漪、長男萍、次男冲の四人家族で、召使いの魯貴とその娘四鳳を雇っている。萍は四鳳と恋中であるが、繁漪とも関係があった。繁漪は四鳳を追い出そうと母魯侍萍を呼ぶが、彼女は昔樸園の召使いで、萍を生んで身を引いた人だった。最後にこのことは皆の前であきらかとなり、四鳳・冲は感電死し、萍は自殺をする。」
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by pangxie | 2007-04-22 00:00

代返

指導教授の授業でひさびさに出席の確認をすることになった。確認といっても必修科目で履修者が百人を超えるものであるから、全員の名前を呼ぶことはしないで、いくつかの班に絞って呼ぶ、という方式。思ったよりも欠席者や遅刻者が多くて、先生の機嫌が次第に悪くなる。あろうことか「代返」まで行う不届き者がおり、先生がついにお説教をし始めた。

勉強熱心な学生はノートや本を使って場所取りをし、そうでない学生は遅刻したりサボったりする。上海に来てしばらくは、復旦の学生は日本の大学生よりもはるかに勉強熱心だと思っていたが、2年近く授業に出ていると、手抜きをしている人もままいることが分かるようになった。

日本とは違って中国では大学に上がれる人はごく少数の精鋭に限られる。だが学生はどこの国も同じで、わんぱく者ややんちゃ者もいればマジメもいる。

中国の大学では出身地によって入学の条件に差がある、と聞いたことがある。たとえば上海の大学に入る場合、上海の戸籍を持っていれば、他の地方から来る学生よりも入学試験のボーダーラインが低く設定されているそうな。すなわち上海以外の地方の人が上海に来るのは、ものすごく大変なことと言える。マジメさんとそうでない人では、果たして出身別の特徴が見出されるのであろうか。
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by pangxie | 2007-04-21 15:03

厚顔無恥

お碗一杯の味噌汁を流し台で捨てると、河川の汚濁の原因になる。作りすぎて捨ててしまうよりは、インスタントで飲みきってしまったほうがよい。

写真上段の味噌汁は、おなじみの永○園のもの。下段は永○園のパクリとしか言いようがないもの。こんなものを作ってしまう「拓○」という会社の連中は、なんと厚顔無恥なことか。しかも「あさげ」の意味が分からなかったのか、「あつい」などというワケの分からぬネーミング。見ているこっちが恥ずかしくなる。

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by pangxie | 2007-04-16 23:01

多忙の1週間

今週は忙しかった。月、火は作家協会と中文系主催の中韓作家対話会。日本人の私などお呼びでないはずが、すでに恒例となってしまったカメラ係を仰せつかり、少しばかりの中韓交流に寄与するはめに。韓国側はどのような作家が来ていたのか、韓国文学を少しも知らない私には分からなかったが、中国側は、舒婷、王安憶、余華、陳丹燕、と日本でもおなじみの錚々たるメンバーであった。

そして木曜は張煒氏の講演会。新作を発表した作家はほとんどが上海に来てキャンペーンをするのである。上海は中国全土においてもっとも作品の売れる市場である。作家は上海の大学教員との交流は欠かすことができない。中国の場合、近現代文学を専攻するたいていの教員が評論家という肩書きを持っていて、論文以外の作品評などを頻繁に発表しているし、専門誌にはそのための欄が設けられているほどである。

私などは作家と作品を別個のものとして捉える傾向が強い、すなわち作品を作家から独立した存在としてみなしているから、作品がどうのこうのという質問を作家にじかにぶつける必要はないし、ましてや作品のことを作家の口から聞かなくてもよい、と思っている。要するに私は自分の印象や感想が一番正しい、と思っているひとりよがりの読者なのかもしれない。
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by pangxie | 2007-04-13 23:31

方言話者

カレーライスを省略してカレーというとき、カの方にアクセントを置いて言っていたら、幾人もから違うと指摘された。名古屋では誰にも言われなかったことである。カにアクセントを置けば、魚のかれい(鰈)と同じになってしまう。ビーフカレーやポークカレーなどのように、カにアクセントを置くこともあるが、カレーだけのときは、言い分けないと誤解を招く恐れがある。上海に来てはじめて気がついた。

モノが頑丈であるのを「丈夫い」と言っていたが、どうやら標準語ではないらしい。ほかに、B紙(模造紙)、ザラ板(すのこ)、カンカン(缶)、放課(授業と授業の合間の休憩時間)、シャビシャビ(味が薄いこと)、鍵をかう(鍵をかける)、机を吊る(机を持ち上げて運ぶ)、ゴミをほかる(ゴミを捨てる)、1万円札を1000円札にこわす(交換、両替する)など、これまで普通に使っていたことばが、方言特有のものであったりする。やはり他県に暮らしてみないと、方言が方言であるのを意識することはめったになかろう。
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by pangxie | 2007-04-08 12:08

ある土曜

朝、普段汚し放題の部屋を掃除した。洗濯をし、床を拭き、蒲団を干し、本を整理した。朝からかなりの疲労。

昼過ぎ、ケーキバイキングに行ってきた。中国のケーキはムースの入ったものが多く、はじめの一皿を平らげただけで、すでに食傷気味。アイスもあり、一緒に行った人が食べていたが、美味しくない様子であった。

ケーキバイキングの後、帰りに南区付近の左岸書店で本を買った。作品集で上中下3冊1セットを間違えて、上下だけをレジに持って行った。店員が中巻を持ってきてくれたが、よく確認もせず会計を済ませて帰宅。袋を開けてみると、中巻だけ、ものすごく汚かった。しかもレシートをもらわなかったので、交換してもらえるかどうか、分からない。仕方がない、あきらめよう。

今日から漢語班の連中が旅行。おかげで宿舎が静かになる。 このまま帰ってこなければいいのに、などとついよからぬことを考えてしまうのも、むべなること。なぜなら宿舎がこんなに静かなのは、春節以来であるからである。

そんな貴重な1週間にもかかわらず、授業方面では作家協会のイベントが目白押しのため、出かけることが多くなりそうである。私は従来どおりカメラ係。精神的負担は無きに等しいが、昼夜を問わず駆り出されるので、かなり疲れる。しかもイベントがどれもこれも当代文学(ほとんど長編)に関するものである。私のような近代文学で精一杯の外国人学生にとっては、正直ゲストの書いた作品すらまともに読めない状況。それでも先生はお声をかけてくれるわけで、私ひとりだけ、行きません、とはなかなか言いにくい。
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by pangxie | 2007-04-07 19:39

まとまりのない感想文

この二日間は先日買ったDVD『花より男子2』を見ていた。最近は漫画を原作にしたドラマが幅をきかせているけれども、得てして原作を台無しにしてしまう傾向にある。漫画だからこそ許される非現実的な突飛な設定も、実写になったのを見ると、鼻白む思いをいたさずにはおれない。

『花より男子』など、大金持ちの男子4人組(F4=花の4人組という恥ずかしいユニット名がついている)対貧乏娘の話で、スケールもとてつもなく大きく、文字通りありえない設定。まずは内田有紀主演で映画を試みたものの、大してヒットしなかった様子。そのあとアニメ化を経て、なんと台湾で実写化した。台湾人がマキノだのドウミョウジ(道明寺司というのが原作の名前であるが、中国語だとdaomingsi siとなるせいか、台湾版では道明が姓、司が名になって、daoming siという名前に変わってしまった)だのと日本名で呼び合っていることも甚だ不自然であるが、一番おかしかったのは金持ちの設定のはずのF4が、全然金持ちらしく見えないところであった。なんというか、垢抜けないというか、とにかく田舎くさいドラマであった。脚本はまあまあ工夫してあって、原作(といっても少ししか見たことがないが)に忠実にうまくまとまっていると思う。

さて日本の実写版であるが、さすがにF4(の道明寺のみ)は金持ちらしく、ゴージャスなオシャレでバシッと着こなしていたものの、とぼけた花沢類役の小栗旬はさておき、残り2人がパッとしない。美作と西門という役名であるが、なぜこんな奴らに女子生徒が騒ぐのか理解ができない。漫画では4人とも美男子で、その美貌と財産に目がくらんだ女子生徒が追いかけているが、実写版では、日本も台湾もともに、道明寺と花沢を引き立てるためにしか存在しないといっても過言ではない美作と西門を、敢えてブサイクにして、財産のためなら容貌など二の次、というある種のリアリティを付加したかったのであろうか。このように勘ぐってしまうほど、ふたりの起用については、申し訳ないが、疑問を感じずにはおれない。

最後に肝心の物語についていえば、脚本家の苦心の跡がうかがわれる。かつての12話から10話へと連ドラ縮小傾向にある中、花男は初回スペシャルと最終回スペシャルを入れて合計11話で、人気を反映した構成になっている。ある程度時事的な要素も入っていたり、コミカルなやりとりも挿入されていたり、と漫画にはない面白さが加わっていて、退屈しなかった。テンポも程よいもので、引きのばしている印象は受けなかった。もっとも漫画が長編なのでエピソードには事欠かないであろうが。
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by pangxie | 2007-04-03 01:31