天天好時光

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鰻丼報道について

ニュースを見ていたら、牛丼屋が550円の鰻丼を提供するらしい。

そこでアナウンサーが実際に食べに行って、レポートをしていた。

ここまではよかったが、その後、別のアナウンサーが、老舗の鰻屋に行って、そこの鰻丼を食べながら、
牛丼屋が激安鰻丼を提供することについて、感想を聞いていた。

鰻屋は「脅威になるかも」なんて言っていた。

はたして、鰻屋は本当に「脅威」などと思っているのだろうか。

やらせが得意なマスコミだから、にわかには信じがたい。

だって、牛丼屋のは気軽に食べに行くもので、老舗のは本格的な鰻を食べに行くものだからだ。

牛丼屋に老舗と同様の鰻を求める人はいない。

550円の鰻丼と、2000円の鰻丼が、同じ味のはずがない。誰にだってわかることだろうが。

ファーストフードとしての鰻と、老舗の鰻を一緒くたにするのは、まことに愚かしいことだ。
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by pangxie | 2009-05-28 00:02

月曜日になると

上海に行きたくなる。

久々に某ブログ(上海関係)を見ていたら、呉江路が閉鎖されたとのこと。

そして、小楊生煎が、グルメロード・黄河路に移転したとのこと。

黄河路といえば、佳家湯包が、安くておいしくて有名。

小楊生煎と佳家湯包をハシゴして食べたいなあ。

紅焼肉も食べたいなあ。

先日、中国人のやっている中華料理屋で食べたけど、如何せん東北人に作ったもので、パッとしなかった。

別に東北人が料理下手というわけでは決してないので、あしからず。

ただ上海の紅焼肉が食べたいだけ。

夏こそ上海に行くぞ。
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by pangxie | 2009-05-26 00:20

おかしな解釈

你我从今起对爱的生活负有做到他十全的义务。
(私たちは今から愛の生活に対し、それを成就させる十全な義務を負う。)

この文章を読んで、さほど訳しにくいところはない、と思っていたが、例によって中国人がおかしな解釈を出してきた。

「做到他」の「他」が虚指ではないか、と言うのである。

確かに、虚指の用法としての「他」は、あるにはある。しかし、条件があり、何でもかんでも虚指と見なすことはできない。

条件は、「他」が動詞と数量詞の間に来ること、である。「睡他一觉」のように、である。(「ちょっと~してみるか」といった語気も含まれる。)したがって、上の文章において、この虚指の用法で解釈することは、不可能だ。

だから、私が訳したように、「他」を「做到」の目的語として解釈するしかないと思う。
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by pangxie | 2009-05-21 17:36

分かれる解釈

ある文学作品の中に、「要懂得真认识一个灵性,是一辈子的工作」とあって、この部分の翻訳の担当者は「真认识~」を「懂得」の目的語と見なしていて、「才知を認識するのを理解することは~」と解釈していた。

私は、これだと意味がよく分からないし、文の構造についても違った解釈をしている、と異議を唱えた。

私は、「要懂得真认识」は動詞の並列構造で、「懂得」も「认识」も、目的語は「一个灵性」ではないか、と解釈した。

訳すと、「“灵性”を理解し本当に認識するのは、一生のつとめである」、となる。

これに対し、発表者は違うの一点張り。

どうだろう。

文法書を見たら、「研究并批准了这个计划」というのがあり、下線部が動詞の並列である、と指摘していた。
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by pangxie | 2009-05-15 02:19

地震から一年

四川大地震から一年。

さっき、NHKの特集番組を見ていたら、女性の中学教師が生徒のケアに懸命に取り組んでいる様子が映っていた。この先生自身、娘を失っているにもかかわらず、地震の日も学校にとどまり、救出活動に従事したという。

そういえば、同じ教師でも、中国全土で一斉に非難を浴びた人がいた。范美忠という先生で、地震が起きた時、生徒を置き去りにして、一人で真っ先に逃げたことを、ブログで公表したのである。

この行為から、いつしか“范跑跑”と呼ばれるようになった。

范が北京大学出身ということも取り沙汰され、北京大が彼を非難するなんてこともあった。

結局、彼は四川の学校を追われ、今、北京にいるらしい。
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by pangxie | 2009-05-13 00:00

授業にて

授業で読んだ論文。今回は黒人フェミニズム文学について。フェミニズムといっても、論文で述べられるのは、ほとんどレズビアンに関するもの。

論文の著者によれば、トニ・モリソンの小説『スーラ』はレズビアン文学である。著者は、小説の細部を精緻に読み解き、女の女に対する視線が、官能的でエロティシズムに満ちたものであり、従来の異性愛主義には回収されないものだとして、この作品をレズビアン文学であると結論付けたのである。

論文を読んでレジュメにしてまとめた、今回の担当者は、『スーラ』をこのように読むのは納得できない、と言う。私が、その根拠がよくわからないので、なぜあなたは納得できないのか、と真意を質した。しかし、担当者は、別の論文の方が説得力がある思った、というだけである。

これでは、批判にならない。せめて、「別の論文」でどのように論じられていたか、言及してほしかった。

私は、この論文を読んで、ふむふむ、こういう読み方があるのか、と腑に落ちた。担当者が、どこが腑に落ちなかったのか、知りたかった。だから質問したのである。

この担当者は、女同士の情交が描かれていないから、レズビアン文学だと認識するのに戸惑いを覚えたのかもしれない。男と女の愛だって、そのすべてに情交が描かれているわけではないのに。どうしてレズビアンやゲイの時だけ、ことさらに情交の有無が取りざたされるのだろか。こんなことが、どこかで書かれていたと思う。授業では時間がなくなって、議論できなかったから、ここに書いておく。
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by pangxie | 2009-05-11 22:38

生煎

NHKの中国語会話を見ていたら、呉江路(上海)の「小楊生煎」が出てきた。「生煎」を日本語では「焼きパオツ」と訳されていた。

「生煎」といえば、「小楊生煎」というくらい、上海では有名なのだが、「焼きパオツ」というよりも「焼きショーロンポー」と訳した方が、ここのを指す時は正確かもしれない。あと基本文では「这是生煎包」となっていたが、上海で「生煎」に「包」とつけて「生煎包」というのは、聞いたことがないなあ。

もっとも「老豊閣」のような、普通の「包子」くらいの大きさの「生煎」もあって、それは「生煎包」と呼んでもいいと思うけど。
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by pangxie | 2009-05-03 01:16