強い母と弱い娘
映画『カンフーハッスル』に登場するふたつの女性像が印象的である。
ひとりは家主。太っていて、おっかなく、いつも寝巻きを着ている。口だけが達者なのではなくて、実はすごい技の持ち主である。
もうひとりは街角でアイスクリームを売る娘。話すことができない。かつて主人公が幼いときに出会ったことがある。
強い女と弱い女。男たちは女を恐れることもあれば、守ってあげなければ、と「男気」を見せようとすることもある。いずれも主人公を引き立てている重要な役どころだ。ひとりは〈母〉のような、ひとりは〈娘〉のような感じ。父が娘を愛することは禁じられている。この作品では、ふたりの性愛は描かれていない。だから、後者を敢えて〈娘〉と名づけることにしたい。
〈息子〉から〈父〉へと移行する主人公。これがこの映画のメインテーマである。男の成長譚である。男の成長はこのふたりの〈女〉をキッカケにして実現する。あたかも男は女の存在がなければ成長しない、あるいはできないとでも言いたげだ。
よく考えがまとまっていないので、今のところの感想と言っておかなくてはならない。
ほかの周星馳作品は観たことがないのでなんとも言えないが、比べてみると別の見方ができるかもしれない。
ひとりは家主。太っていて、おっかなく、いつも寝巻きを着ている。口だけが達者なのではなくて、実はすごい技の持ち主である。
もうひとりは街角でアイスクリームを売る娘。話すことができない。かつて主人公が幼いときに出会ったことがある。
強い女と弱い女。男たちは女を恐れることもあれば、守ってあげなければ、と「男気」を見せようとすることもある。いずれも主人公を引き立てている重要な役どころだ。ひとりは〈母〉のような、ひとりは〈娘〉のような感じ。父が娘を愛することは禁じられている。この作品では、ふたりの性愛は描かれていない。だから、後者を敢えて〈娘〉と名づけることにしたい。
〈息子〉から〈父〉へと移行する主人公。これがこの映画のメインテーマである。男の成長譚である。男の成長はこのふたりの〈女〉をキッカケにして実現する。あたかも男は女の存在がなければ成長しない、あるいはできないとでも言いたげだ。
よく考えがまとまっていないので、今のところの感想と言っておかなくてはならない。
ほかの周星馳作品は観たことがないのでなんとも言えないが、比べてみると別の見方ができるかもしれない。
by pangxie
| 2005-12-07 18:26