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天天好時光

「ラカンは分からん」など、洒落にもならない洒落

エリザベス・ライト『ラカンとポストフェミニズム』を読んでいる。

ジャック・ラカンの理論は、晦渋極まりない難物で知られており、前に挑戦した彼の『エクリ』も、この評判を裏切ることのない、チンプンカンプンな書物であった。

『エクリ』は邦訳で読んだのだが、しばらくして、集中講義で来られた東大のO先生の、「『エクリ』の邦訳は読まぬ方がよい。むしろ、英訳を読んだほうが分かりやすい」旨の発言を聞き、邦訳を手にしてしまったことを、ひどく後悔したものだ。

さて、ぼくがラカンに興味を持っているのは、彼の理論が、いま、フェミニズムの文脈で非常に重宝されているからにほかならない。

フェミニズムを知る上で、避けては通ることのできない、ひとつの関門。

避けては通れないとは言いつつも、なるだけ避けて通りたいのがホンネである。

そこで、フェミニズム理論家はどのようにして、ラカンを解釈しているのか、これを知るために本書を手に取ったわけである。

著者の編著である『フェミニズムと精神分析事典』は、邦訳が刊行されてすぐに購入し、思いつくままにトピックを繰ってはいたのだが、それももうすでに4年も前のこと。
ラカンだの、フロイトだの、精神分析だのは、とうに記憶の片隅にも残ってはいない。

今回の読書で、少しでも以前の「勘」が戻れば、と思う。

追記:本書の解説、竹村和子「ポスト性的差異は可能か、だがもしも可能になったら・・・・・・」は、現在のアンチ・フェミニズム、バックラッシュについて、洞察の深い読み物になっていて、素晴らしかった。
もう一つ追記を。本書は中国語にも訳されている。
by pangxie | 2006-02-15 10:59
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