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天天好時光

迷彩服みたいなのを見て

本科生たちが、迷彩服みたいなのを着て、キャンパスを歩いていた。軍隊式の練習(何ていうのか分からない)が、始まったようである。友人の中国同学も、かつてやらされたことがある、と言っていた。日本の大学では体育実技が必修になっているが、そもそも体育という科目は、軍隊を前提にして成り立つものである。ちなみに、ソフトボール投げのルーツは、なんと「手榴弾投げ」だったらしい。いかに遠く手榴弾を投げるようにするか、という訓練の名残りである。小中学校で、行進させられたり、先日も似た話が話題になったが、「前へならえ」、「気をつけ」、「休め」なども、まさに軍隊式のやり方である。こんなものが義務教育の段階でなされているが、なんの教育的な効果があるのだろうか。ぼくは、よく分からないので、どなたか教えていただければ、と思う。

これは日本に限ったことではないと思うが、皆が同じことをしていなければ恥ずかしい、みっともない、という風潮が、世の中に根づよくある。小学生のときの友人で、足の悪い人がいた。その人は、もちろん上に書いたような軍隊式行進など、皆と一緒にできないでいた。そうすると、自然、その人だけ、例外とみなされてしまう。足の悪いことが、目立ってしまう。皆で一緒にしなくてはならない、というのが、何だか腑に落ちない、と思うのは、ぼくがこういう「例外」を目の当たりにしたからだろうか。いや、それよりも、ぼく自身の体育が苦手だったことが、大きく作用しているに違いない。男は女よりも運動能力に秀でている、なんてのが、デタラメだと思うようになったのも、ぼくよりもはるかに運動能力に長けている女子生徒が多かったからである。

オリンピックなどの競技種目を男女混合にしてみてもよいのでは、と言ってみれば、たちまちに猛反発を食らってしまう。おまえはスポーツなど分かってないから、そんなトンデモ発言ができるのだ、と叱責されたこともある。男と女の生物学的な違いなど、ぼくは取るに足らないことと思っているから、男女混合にしても面白いのでは、と思っている。何であれ、違いを強調することは、そこに必ずといっていいほど、権力関係が存在する。男と女の場合、男が支配者、差別者で、女が被支配者、被差別者である。人種では、白人と黒人、階級では、資本家と労働者。健常者といわゆる障害者も権力関係である。おなじ国民同士でも、部落差別なんてのがある。男女混合を否定する向きには、男女混合にすることで女の非力さが浮き彫りになる、というのがあったが、ぼくはそんな風には思わない。男女のトップ同士の記録の差を理由にする人もいたが、それは、小さい頃からの運動量を考慮しなければならない。それにトップだけの差を見たところでなんになるのだろう。そこから飛躍して、男の女よりも勝っていることを誇張したいだけではあるまいか。生まれた時点で男か女に割り振られ、男らしいあるいは女らしい育て方をさせられている以上、男と女の「差」(と見なされるもの)は永遠になくならないだろう。男と女の違いをまったく認めないのではない。現状維持をするよりも、差別を生み出すような余計なものは、ないほうがいい、と思っているだけである。
by pangxie | 2006-08-19 13:30
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