人気ブログランキング | 話題のタグを見る

天天好時光

長いひとりごと

疲れてしまった。こういうときは、精神的にもまいってしまって、普段はそれほど考え込まないようなことでも、深刻になってしまう。息抜きもロクにできないなんて、ぼくは、本当に不器用だと思う。

ぼくの尊敬する先生は、院生たちは「一様に不幸そうな顔をしている」と書いておられた。確かに、研究室にいると、学部とは違って、深刻なメンツが揃っていた。(学部生の集まる昼休みまっただなかに、院生が学食に行きたがらないのも、うなずける。一部の院生は、あのキャピキャピした雰囲気が苦手であるから)

院生にとっては、自分の研究課題が仕事のようなものだと思う。それゆえに、プロ意識を持て、とよく言われる。会社勤めとは異なって、給料をもらえるわけではないから、金という動力がない。また、一人で立ち向かわなくてはならない。目標を定めても、それが達成されたときに共有できる相手がいない。だから、余計に意識の面が重要になってくるのだろう。もっとも、私は会社勤めをしたことがないので、こうやって比べることは、ナンセンスかもしれない。

もともと1年の留学を、2年にしてもらった。そもそも、ぼくにとっての留学は、現実逃避の一言に尽きる。日本に居た頃の圧迫から逃れたかった。修士論文を書いている最中は、確かに充実はしていた。フェミニズムという学問に接することができ、自分の中でモヤモヤしていたものが、解消されたような気がした。文学研究のひとつの道筋を与えられたような気がした。(よく言われることだが、フェミニズムでは、文学作品のすべてを論じきることなど、到底できない、というのがある。しかし、それは、別の研究方法に対しても、同様である。何かを論じるということには、いずれも、何らかの思想的背景が存在する。)

自分で考え、立論していくのは、人から見れば稚拙なものであっても、ぼくにとっては、楽しいものであった。しかし、競争という恐ろしい魔物に立ち向かうのは、嫌であった。周りを見ないで、もっと、自分本位に事を進めたい。競争は往々にして、それを許されない状況下に、人を追いやってしまう。留学生活は、自分本位が担保されると思った。しかし、事態は、日本にいるよりも、苛酷であった。日本では他者を見ていたものの、留学先ではそうはいかなくなったからである。じかに自分と向き合わなくてはならなくなった。

結局は、課題は自分で設定したものである。ゆえに、深化させるなり、軌道修正するなり、いずれにせよ、自分で乗り越えなくてはならない。周囲を見る必要がなくなったのだから、今度は、
周囲に流されないで、溺れないで、立脚点を定めて、頑張ろうと思う。人は人、自分は自分。簡単なようで、意外に難しいもの。
by pangxie | 2006-09-23 01:12
<< 期待 カタルシス >>