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天天好時光

授業終わりじゃなかった

今日で授業が終わりだと思っていたら、来週もまだやるそうな。来週は討論会で何か話したい人だけが来ればいいという。TAをしている中国同学は「誰も来ないよ」と笑っていた。確かに何を話せばよいのやら。

今日の内容は今の文学の状況について。先生は三つの面から分析した。

(1)文学から映像へ。中国で重要な位置を占めた報告文学(ルポルタージュ)は、中国中央テレビの「焦点訪談」のようなドキュメンタリーに取って代わられた。この忙しいご時勢に煩雑な長編小説が読まれないのは、きわめて当然のことだ。その代わりに連続ドラマが親しまれるようになった。詩はもっとも人気のないジャンルで、作る者もかなり少なくなった。しかし人々はカラオケに行き、画面を見ながら詞を見て歌を歌っている。詩は詞に取って代わられたのだ。

(2)ネット時代の新しい状況。無名の人々が、ブログなどで誰でも自由に文章を発表する場所ができた。出版プロセスを経なくてもよくなったのだ。他人の文章を気軽に読み、自分も気軽に書くことができるようになったのだ。

(3)政治の民主化。文学はもともと政治によって牽引されるもの。ところが今では政治は文学を必要としない。文学は政治性からどんどんと遠ざかり、全体的に価値が低くなってしまった。とくに沿岸部では作家を志すものが少なくなり、かわって新疆や陝西などの発展の遅れている地域で志す者が増えている。

これらの要素により文学は周縁へと押しやられてしまったのである。じじつ全盛期には150万部も発行していた『人民文学』は、今やわずか3万部まで落ち込み、その半数が関係者による購入だといわれている。

このような危機的状況ではあるものの、名作と言うに値する作品がないわけではない。たとえば賈平凹『秦腔』、余華『兄弟』は評価できるものだ。

あとテストの出題方法について説明があった。中国では板書を写すよりも「聴写」(聞き取って書く)するのが主流。この授業では先生が書き取るように言ったところから95%出すとのこと。しかも用語説明に関する論述問題では3行半から4行くらい書くのがよいとか、各時代の文学潮流についての説明では6~7行がよいとか、具体的に指示を出しまくり。これで落とす学生がいたら見てみたい。挙句の果てには留学生のみノートの持込を許可するなんて言う始末。これには中国人学生からブーイングが出ていたが、あのナマリの強い普通話を完璧に聞き取れた留学生は果たしてどのくらいいたのだろう?

夜のゼミでは文学研究の方法についての講義。ソ連のマルクス主義の方法から改革開放後には欧米の理論の援用に移り、さらに今では大中華思想、つまり伝統に回帰する傾向が強い、という。これもなるほど説得力のあるものであった。

欧米の理論を援用した論文は、中国ではいろいろと批判されている。私などはそこからいろいろ興味深い見解が提出されており、とても面白いと思うのだが・・・・・・

あしたは朝一で上海図書館へ、夜は先生たちと食事。最近ちょっと疲れ気味。
by pangxie | 2007-06-22 01:36
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