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天天好時光

授業にて

授業で読んだ論文。今回は黒人フェミニズム文学について。フェミニズムといっても、論文で述べられるのは、ほとんどレズビアンに関するもの。

論文の著者によれば、トニ・モリソンの小説『スーラ』はレズビアン文学である。著者は、小説の細部を精緻に読み解き、女の女に対する視線が、官能的でエロティシズムに満ちたものであり、従来の異性愛主義には回収されないものだとして、この作品をレズビアン文学であると結論付けたのである。

論文を読んでレジュメにしてまとめた、今回の担当者は、『スーラ』をこのように読むのは納得できない、と言う。私が、その根拠がよくわからないので、なぜあなたは納得できないのか、と真意を質した。しかし、担当者は、別の論文の方が説得力がある思った、というだけである。

これでは、批判にならない。せめて、「別の論文」でどのように論じられていたか、言及してほしかった。

私は、この論文を読んで、ふむふむ、こういう読み方があるのか、と腑に落ちた。担当者が、どこが腑に落ちなかったのか、知りたかった。だから質問したのである。

この担当者は、女同士の情交が描かれていないから、レズビアン文学だと認識するのに戸惑いを覚えたのかもしれない。男と女の愛だって、そのすべてに情交が描かれているわけではないのに。どうしてレズビアンやゲイの時だけ、ことさらに情交の有無が取りざたされるのだろか。こんなことが、どこかで書かれていたと思う。授業では時間がなくなって、議論できなかったから、ここに書いておく。
by pangxie | 2009-05-11 22:38
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